先日、ちょっとした時間に読み聞かせをした。
図書室にあった「おにの首ひき」の絵本。読んでみて、これがまたいい。
子ども達も喜んでくれた。このお話のおには基本的に悪者である。それがまたいい。
おにが悪者である意味は、やっぱりあると思う。悪者というより、怖いものといった方が正しいか。
おにの存在価値は、人間にとって怖いものであり、怖いものが何かを示してくれるところであろう。その関係の中で、人間が、自分たちのくらしを見つめてきたように思う。だからそういう畏怖感を分からないうちに、何でもかんでも仲良くってのはおかしいと思う。
このお話のおには、人を食らう。おにが娘に人間の若者を食らわせようとする。若者のおにとの軽妙なやりとりがおもしろい。それを、読み聞かせでは、伝えることができる。
使い分ける声は、4種類だけ。地の文。おに。おにの娘。若者。
本の中で、キャラクターがはっきりしているので、初見でも、読みやすい。それぞれのキャラクターに合わせて、声を切り替え、テンポを変えて読んでいった。もちろん、スピード感やその強弱も大事。この本は、キャラクターや場面の様子がよく分かるので、読むときも、その声の表情にどんな雰囲気を出せばよいのか、端的に判断できる。
別の本もあった。有名な本だ。「島ひきおに」
おにが人間と遊びたくて求めていくが拒否されていくという悲しいお話。
前提には、人間がおにをおそれるということがある。
おにへの、既成概念があるのだ。おにじゃなくても、ふだんのくらしではないだろうか、という話もできる。
教材にもなっている「ないた赤おに」は、さらにその上を行く。
おにが、友達のことを考えて自分が悪者になるというもの。そこでは、おには悪者という人間の既成概念を利用している。
でも、最近の子どもは、泣いた赤鬼からはいる場合が多い。だから、優しいおにもいるというのが先に入っている。
最近の子どもは、おには怖くないのだ。だから、わが家のおに○○をおそれると言うこともないのかも知れない。
感じたこと
1.おにの話には、おにと人間の関係を象徴として人間のあり方を考えさせる深いものがある。
2.単純に、よくできたお話ほど、声を出して読んでいて楽しい。いろんな読み聞かせもでき、子ども達も楽しい。