12日間のフィンランド視察研修から帰国した。怒濤の12日間だった。見聞きしたことをたくさん記録した。感じたこともたくさんあり、整理しきれないくらいである。その中で、最も考えさせられたことを、まとめておくことにする。
フィンランドの教育がPISAで成果を挙げたのはなぜか。
それは、国をあげての教育への取り組みがある。
1.本や新聞を良く読む国民性
とにかく新聞や本を良く読む。図書館に新聞を読みに来ている人も多かった。マンガも図書館にあり、認知されている。テレビ番組にはくだらないバラエティはなく、海外放送局のニュース番組が多く流されている。その大半は、字幕である。消えるまでに読まなければならない。フィンランドの特性として、小学校2年生までの学習で全ての文字を音に出して読むことができるようになる。2年生で新聞が読めるようになるのである。内容の理解は別だが。社会の現実に対して目を向けることを要求されているように感じた。そのために文字を読むことが、大事にされている。
家庭で、読み聞かせも多く行われている。親も夕方には家路につき、子どもと一緒に本を読むのは、当たり前のことになっている。くだらない番組が必要ないわけだ。子ども達の読む本ではファンタジーが人気だそうだ。ハリーポッターが一位だそうな。そのほかにも優れた児童書がたくさん出版されている。本は高いので、図書館でたくさん本を借り、読んでいる。
2.教師に対する信頼と自負
教師になるには、しっかりと勉強しなければなれない。5年間の大学教育としっかりした現場実習を積んで、初めて、教師の資格を取れる。そのための大学と教師養成のシステムが完備されている。担任教師の資格があり、教科担当よりも難しい。担任教師には、そのスキルがあるものと見なされているのである。
教育委員会も親も、教師を信頼している。
国の定めた基本的な指針があるが、学校のカリキュラムは、教師が考える。それだけ信頼されているのである。教育委員会は、学校を監督するのではなく、学校の教育がうまくいくような基盤整備をするのが仕事である。査察や管理はいっさいない。上からの学校評価はない。学校独自でアンケートを採って教育カリキュラムの成果を自己評価することはなされているようだが、それは自らの教育活動を評価改善するためのもののようである。
教師に求められる能力の中に、教育の成果を評価できることという項目があった。評価は自らの仕事の一環としてプロとしての自負を持って行われるのである。
3.教育に対する家庭の役割
教育に対して家庭が熱心である。学校は授業を受ける場であり、そのほかのことがらは家庭の責任である。2時3時になると、学校から子ども達は帰宅する。その後の活動は基本的に家庭で支えるもので、学校の仕事ではない。地域のスポーツ文化活動の基盤があり、子ども達は家庭の責任において、それらの活動をする。共働き率が高く、昼間家庭に親がいない場合も多く、その場合は日本で言う児童クラブのようなところで子どもを受け入れている。これらの活動はNPO的なものや公立の社会教育の一環として行われている。
家庭では、子ども達の学習を支える。宿題なども家庭の親がしっかりと見ている。
母親の学歴が高いほど、子どもの成績が良いという調査結果も紹介された。
4.落ちこぼれを出さない学校教育のシステム
一クラスあたりの子どもの人数が少ない。平均25人であると聞いたが、実際に見た授業はほとんどが、20人に満たないクラスだった。教科によっては、クラスを分けて、さらに少ない人数で学習するとのこと。これなら教師の目も届き、個に応じた対応も可能である。授業の方法は日本とさして変わらない。一斉授業において、基礎基本をトレーニングしていく授業も大切に行われている。これに加えて、お話を自分で作ったり、テーマについてグループディスカッションしたりする活動が数多く取り入れられている。自分の考えを深めることを要求されている。
授業に遅れそうな子どもは、算数クラスに行って遅れを取り戻すことができる。専門の教室と先生がいる。習熟度クラスではなく、落ちこぼれを出さないシステムになっている。
5.読むことと作ることを大事にするカリキュラム
カリキュラムの中で国語が大事にされている。また、手作業を大事にする教科の時間もある。編み物をしたり木工や金工をしたりするのである。しっかりと時間をとり、一人一人に手取り足取り教えながら、本物の道具を使って、物作りを教えるのである。
6.学び続けるための社会システム
成人教育のためのシステムが整備されている。大人になっても学び続けることは、当たり前なのである。実際にその教室に通っている人も多い。だから子ども達にとっても、学ぶことは当たり前なのだろうと思う。社会基盤としての図書館や成人教育施設が充実している。