元旦雪道脱出
12月31日の雪、参りました。見事に、1000台のうちの一台に。
貴重な経験だったので、ここに書いておこう。
12月31日午後4時に米子を出発し中部の家に向かう。ひどい吹雪となる。前が見づらい状況。積雪もかなりあるが走れる。慎重に走る。午後5時ごろ渋滞にはまる。少しずつ前に進んだり、全く動かなくなったりの繰り返し。対向車線はあいていた。時々、数台の車がやってくるので、少しずつ流れているのかなあと思う。これが間違いだったと後で分かる。
写真 前方の車の先には、ずっと続いている。対向車線に遠くからのヘッドライトが見える。
情報を得ようと警察に電話。タンクローリーがスリップして、事故処理と除雪に手間取っているとのこと。
あたりは、ほとんど人家も店もない。吹雪の荒野で遭難している気分。
頼りは残りのガソリンとシガーアダプタからの充電。食料は、おみやげにいただいたお菓子類。水分はわずか。
自販機がある場所に行ったところで、息子が雪中行軍で、お茶をゲット。この自販機、後述の脱出時には、お店の方が道路から自販機まで雪かきをしてくださっていた。
吹雪の中、たまに10メートルほど進むことを繰り返して、12時頃には、木の根本舗あたりにいた。ここは、3日の日本海新聞朝刊のトップ写真の場所。
車内では、ワンセグで紅白を視聴。時々電波が切れたが、久しぶりに最初から最後まで見た。楽しみにしていたクミコさんの曲が切れ切れにしか聞こえなかったのが、残念。
木の根まんじゅうのお店で、トイレを借りた。自分は車の番で残っていたが、他の家族全員がお世話になった。おじさんたちが、ここで休んでいきないなと優しく声をかけてくださったそうだ。子どもたちは、とても感激していた。
現場は、少し先のはずだった。あまりにも動かないので、歩いて前方の様子を見に行った。対向車線はあいていたのだが、逆行して進入する車があり、対向車とつっかえて通れなくなっているところもあった。ルールはルール、大事だ。先の方まで行ってみると、かなり先の方まで車がつかえいることが判明。しかも、反対車線にも車があり、動けなくなっているとのこと。それじゃあ、待っていても、車は流れないと、判明。明日の朝までどころかこの長さだと復旧にはかなりの時間がかかりそうだと直感。いっしょに様子を見に行った息子も、「お父さんこれ無理だわ。」 米子に引き返すことを決断。自分の車のあるところはまだ対向車線はあいている。問題は、引き返して方向の道が空いているかどうかだが、ここにいるのよりはましだと判断。すでに1日の午前1時前、市内のホテルをあたる。iphoneで検索して、駅前のホテルに電話する。この行きでも駅前なら、駅の地下駐車場やサティの駐車場があるから、車を止めて過ごすことはできるので、とりあえずそちら方面を目指すことにした。最初に電話したホテルは当然受付時間は過ぎているが、対応してくださるとのこと、ありがたい。到着時刻未定ということでそれでも宿を確保することができた。
ということで、引き返し始めたのが、1日の午前1時頃、そこから、結局米子駅前のホテルにチェックインしたのが午前8時30分。7時間半の脱出ドライブになった。
少し離れて後続の妹家族も先に引き返した。何とか引き返すことができているとのことで、後に続いた。妹家族は何度かスタックを繰り返しながらも米子のホテルに3時頃に到着した。
木の根まんじゅうのお店の方が、店の前を少し雪かきしてくださっていたのでそのスペースをお借りして、Uターン。米子に向かった。しばらく行くと先行している数台の車と一緒になった。時々先頭車両が雪道にはまる。そのたびに、近くの車の人と救出。それを繰り返していると、スコップを持った同じおじさんを何度となく見かけた。はまった車を救出して歩いているようだった。どんな立場の方かは分からない。公の方か、近所の方か、車中の方かもわからない。でも、公の人を見なかったのは事実。後で述べるが、こんな大変なことになっているのに、警察もだれもこのあたりで見かけない。このときは不思議で仕方なかった。
また、この頃ようやく分かったこと。それまで対向車線を時々車が走り、少しずつ車も前に進んでいたのは、引き返した車があり、そのスペースを埋めただけだったと言うこと。渋滞は根本的な解決には至っていないと言うことを確信した。それなら、もっと早く引き返したのだがと思った。でも、結果的にこの時点でも引き返したことは、大正解だった。この時点で引き返さなければ、本当に動けなくなっていただろう。
何度か雪道に阻まれながらも、走っては止まりを繰り返して進んだ。
西行きの車線はずっと渋滞し止まっている。とある信号のある交差点に到達したときに、全く動かなくなった。様子を見に行くと、こちらの車線に対向車が数台流れ込んできている。対向車が2車線を使っているのだ。唖然とした。一台が流れ込んだのを見て、後続の車も着いてきたらしい。反対車線も車がいっぱいで動けない。万事休す。ここで朝を迎えるかと観念し、じっと待つことにした。
午前4時頃になって、反対車線の車が動き出した。隙間をつめていった感じ。そのタイミングで、対抗していた車が本来の車線に流れ込み、車線があいた。また進み始めた。
ここからは、悪路との格闘。自分ははまりこむことはなかったが、2台先の軽自動車が何度も雪道にはまりこむ。それを、何度も助けながら進んだ。先頭は若いお姉さん、雪道の走り方を知らない感じ。次のお兄さんといっしょに、轍を読み走るコースを教えたり、バックさせたり、押したりしながら、進めた。むずかしいところでは、お姉さんがしっかりとはまってくれるので、自分も轍の様子などをじっくり見ながら進むことができた。最後の方では、トラックが別車線に3台ほどとまり、ものすごい轍になっているところがあったが、お姉さんは見事自力で駆け抜けていった。上達したなあ、お姉さん。
そうこうするうちに夜が明け、米子市内に入った。皆生に抜ける交差点では、給油に向かうためのタンクローリーが3台止まっていた。ここで皆生方面に誘導された。誘導する人をはじめてみた。
ここに来るまでに、救急車に2台であった。一台目は、両車線を車が埋め尽くしているところ。救急隊員さんは、車線の車を整理しながら少しずつ救急車を進めておられた。誘導があれば、進むことができるのだと思った。ただとても時間がかかったことだろう。二台目は西向きの車の最後尾にやってきた。ちょうど最後尾に到着したところ、ひょっとしたら、先の救急車は動けないだろうから、ここまで何とか人力か何かで搬送してきた人をリレーするのかもしれないと思った。救急車の後ろに後続車も来ている。展開するのも大変だなと思った。
後続車が続々と来ている。米子方面からの車をだれも止めていないのかと、不思議に思った。
米子市内にはいり、まずはガソリン補給。満タンにして、一安心。
駅方面に向かう。ところが九号線でストップ。全く動かない。米子から安来方面が全く動かない。
すでに朝の七時、ホテルに連絡すると、昨夜の宿泊はなかったことにして、この後のチェックイン後、明日朝10チェックアウトにしてくださったとのこと。ありがたい。安心して向かいますと言って、電話を切った。後続のジムニーのお兄さんが、中央分離帯の様になっている雪山を切り崩し始め、ジムニーでさっさと展開していってしまった。これ幸いと、さらに後続の4駆のお兄さんに、先に行ってくださいとお願いし、さらに切り開いていただき、これに続いた。後続の何台かはこれに続いてきた。9号線を西に進むことはできないが、動けない状況からは脱出できた。9号線以外は動けるので市内の道を通って無事にホテル到着した。先着して一寝入りしていた妹家族と顔を合わせたときには、うれしかった。
1日は、ホテルで休息。子どもたちは、サティで昼食。ホテルには大きなお風呂もありゆっくり過ごした。夕食は、駅近くの食堂で。いつもは1日くらいしか一緒できない妹夫婦だが、今回はしっかりいっしょに過ごすことができて、子どもたちは喜んでいた。
2日朝になり、ようやく道路があいたようなので、帰路へ。すいすいと走り、昼にはかみさんの実家へ。昼食をいただき、午後には家に帰ることができた。
いやあ、いろんなことを考えさせられた、貴重な体験だった。
コメント
この投稿には、まだコメントが付いていません
コメントの投稿
改行や段落は自動です
URLとメールアドレスは自動的にリンクされますので、<a>タグは不要です。
以下のHTMLタグが使用可能です。<a href="" title="" rel=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <br> <code> <em> <i> <strike> <strong>